9.騎乗の空論
目が覚めた。
まだ朦朧とする頭と、ぼやけた視界の中で見つけたものは全てが初めて見たものだった。

寒々と結露したアルミサッシ、黒く塗られたパイプベッドの脚は所々サビで塗装が盛り上がってきている。
日に焼けたレースの白いカーテンは煤けて変色し、10センチほど開かれた遮光カーテンの隙間から差し込んだ光がふわりふわりと漂い浮かぶ埃を照らし出していた。
木目調のプリント合板の三面鏡の上には、女のものらしい細々した化粧品類とまだ新しい男性用の整髪料がならんでいた。

正確には初めて見たように錯覚するくらい記憶に新しい品々だったが、不思議なことにその整髪料のデザインにだけは見覚えがあった。
若輩の同僚、小松の部屋を訪れた時に同じものが洗面台にならんでいたのを覚えていたのだ。

現実から逃れるために飛込んだ非現実空間で、またも不意に顔を覗かせた現実世界の記憶を振り払うため私は上体を起こした。
裸だった。
少なからず驚きながらも昨晩の出来事が一瞬にして蘇ってきた。



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女に施された縛めを解かれた後は肉体的にはもちろん、精神的にも困憊してシャワーを浴びる気力もないまま、寝間着代わりのスゥエットだけを着て寝るつもりだった。
そのまま毛布でも借りて、手近なソファーにでも縛めと責めの余韻に浸りながら深い眠りに落ちる用意ができていた。

「ベッドで寝たら?」

そんな私の様子を見て、女は寝室に一つ使っていないベッドがあるから、と申し出た。
以前、一緒に暮していた男のものだろうと想像には難しくなかったが、敢えて私もそのことには触れず好意を受け入れた。

ほとんど倒れるようにベッドに潜り込み、暖かい毛布にくるまるとすぐ意識が遠退いていった。
次に意識が戻ったのは、すぐ後ろに女の気配がしたときだった。

スゥエットの背中越しに女の体温が伝わってきた。

「もう寝ちゃった?」

すぐ耳元で囁やいた口はそのまま私の耳たぶを含みながら噛んだ。

「・・・んぐっ・・・」

振り向く間もなくスゥエットをたくし上げられ、背中に立てられた五本の爪が勢い良く尻のすぐ上のあたりまで引き下ろされた。

「いたっ!」

「あはは!当たり前じゃない、痛くしてるんだから」

思わず顔を歪めながら痛みから熱く感じる背中をシーツで隠すように上に向き直ると、今度は臍の下からスゥエットを捲られ、そのまま顔と頭をすっぽりと覆われてしまった。
視界を無くし、くぐもった声を上げていると胸の上に女が乗ってきたのが分かる。
格闘技で言うところのマウントを取られる格好になり、私は本気を出さない限りこの状況から逃れることは難しくなった。
もちろん本気で逃げるようなことをしないのは二人とも知っていたし、なによりも私の体が一番よく物語っていた。
スゥエットのズボンの上からまさぐられたとき、すでにそれは形を主張していた。

「なぁにこれ」

女が左手で私の乳首を力任せに捻り上げ、右手をさらに激しく上下に動かすと、私はたまらず背中を弓のように反らした。

「・・・ぁあぁ・・」

声にならない唸りを上げていると、女は右手の掌を左右にゆっくり振りはじめ、今までとは違うねっとりとまとわりつくような刺激が私の下腹部全体に広がってきた。

私の全身の力が抜けてくるのを確認すると、女は頭をスゥエットの首から救出してくれた。いくぶん呼吸が楽になった代わりに、今度はそのまま胸の上から徐々に顎のすぐ下まで座る位置をずらしてきた。
私は腕や脚は自由にバタバタできるのだが、反対に首から上は真っ直ぐに真上を見上げることしかできない。
形良く誇らしげに突き出した胸の二つの膨らみの奥にある女の瞳と目が合った。
女が衣服の類を身につけていないことにその時はじめて気がついた。
私の顔のすぐ両隣には女の太股が迫ってきており、音は空気の振動ではなく自分と女の体を通した音しか聞くことしかできない。私の首には同じく女の全体重が乗せられつつあり、呼吸をするのもやっとの状態で全身から汗が吹き出し、顔がどんどん紅潮してくるのが分かった。
「いい眺め」

笑いながらそういう女の表情は、肉食獣が獲物に最後のとどめを刺す間際の昂りにも、命乞いをする哀れな小動物を無慈悲に襲う猛禽類の憂いにも見てとれた。あるいはそのどれでもないのかもしれなかった。
その時の私は、自分の強いられた苦しみと痛みが心地好かった。ただそれだけのことだった。


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